ということで、新宿御苑にほど近い消防署脇の神社、何と火防の神様、秋葉大権現が祭ってある小さな神社の世にも珍しい狛犬。(俺は秋葉といい秋葉原といい火防の神様に縁があるらしい。左側の狛犬が咥えているのは何だ?手榴弾みたいな形状をしてるぞ。





ということで、新宿御苑にほど近い消防署脇の神社、何と火防の神様、秋葉大権現が祭ってある小さな神社の世にも珍しい狛犬。(俺は秋葉といい秋葉原といい火防の神様に縁があるらしい。左側の狛犬が咥えているのは何だ?手榴弾みたいな形状をしてるぞ。






晴れていれば、我が町も輝く。
この道を通って久が原駅に出る。

南久が原一丁目。四つ角に我が実家(昔は工場であった)がある。この一階を空手道場にしようかと思っているのである。
駅を環状八号線方面に歩いていくと、白山神社がある。
祭りの夜の賑わいをよく覚えている。こどもの頃、祭りといえば、この白山神社の夜店であった。神社のある町は、時代が変わっても、昔の風情を残しているものである。
つぶやきは、ツイッターのhirakawamaruの方に振ってこちらのブログはカメラ小僧日記と、演説用にすることにした。まあ、とりあえずということだけどさ。
本日は、元、アーバンの社員で現在は三笠書房の辣腕編集者である能井ちゃんと自由が丘で待ち合わせて、まずは古民家改造(漱石と縁があるらしい)の喫茶店へ向かう。入り口の飛び石。

カメラ買っただよということで、記念に撮影。おれも撮影してもらったのだが、お抹茶をずるずるとやっているところだったので、めがねが曇っている。


このギャラリー茶房『古桑庵』は大変按配のよろしい店であったが、いつの間にか全席禁煙になっている。 ので、尻の暖まる間もなく退散する。
目的は餃子センターなのである。ここで、店に入るなり、セロリ餃子、イカ餃子、大葉餃子、ラーメンを注文。


絶品餃子とラーメン、杏仁豆腐まで食べて四方山話に花を咲かせる。まあ、自由が丘は、餃子センターに限るということである。女心をそそる店は多いが(能井弁)、まあ、なんというか、あれだからさ。おれには似合わないということである。

墨田公園からスカイツリーを望む。誰も野球をやっていない平日の午後の公園。何が聞こえる?

御苑前のオフィスからNTTドコモのビルを望む。似非ビッグベン。むしろ、空の色が主役なのだ。なんと言う複雑な色。

実家から久が原までの途中のうらぶれた商店街。人通りがほとんどないのが、この商店街。大丈夫かね。

実家のすぐ近く。正面の踏み切りは久が原と千鳥町の中間点にある。この道でこどものころはよくドッチボールで遊んだのである。踏み切り近く左手に、明電舎の社員寮があった。こどもたちが大勢いたのである。

本日の午前中、ラジオ収録にアゲイン店主が出演。かれが編纂したロッパのアルバムを掲げて。
話題はほとんど、大瀧詠一さんについてであった。
オフィスに戻って、パソコンを開けてメールをチェックしたら、何と大瀧さんからメールが入っていた。大瀧探偵、いや師匠の探索の手が、久が原周辺にまで伸びてきている。
白髭橋なう、と書いてツイッターに送信した。
春霞の中をくねる大川、詩情ありとも。
これが、白髭橋にあるオフィスの十五階の窓から撮影した
大川端風景である。

父親と暮らし始めてから、判ったこと。
人間は、毎日寝て起きて喰って、ごみを大量に出して、
糞をして、寝る動物なのだということである。
喰わなければ痩せ衰えて死んでしまう。
しかし、飽きもせずに毎日毎日よく食い続けているものである。
所帯を持ってそんなことを考えても見なかったが、
自分で食材を買い、めしの支度をし、ごみ出しを毎日し、
洗濯をし、アイロンをかけてみて、
気が付くことがたくさんあった。
面倒だが辛いわけではない。
辛くはないが、少々呆れながら日課をこなしている。
マンションから、日々の暮らしに必要なものは
あらかた久が原の実家へ運び込んだ。
鉄筋コンクリートの家から、築五十年の木造住宅へ移ったわけだが、
これが、思いのほか落ち着く。
あれほど鬱陶しく思っていた生まれ育った町を駅舎から家まで呟きながら歩く。
やっぱり久が原はいいなぁ、
やっぱり木造住宅はいいなぁ。
マイブルーヘブンだよな。

歳のせいか。
いや、やっぱり木造住宅はこの温帯モンスーンに
暮らす人間の生活と
本来的に折り合いがつくのである。
五十年前から柱にぶら下がっている時計を見ながら
そう思うのである。

「リナカフェなう」って具合でいいのかね。
と書いてツイッターというものに登録してみた。
このつぶやきツールがどんなものか、何となくは
わかるのだが、何故こんなものが流行るのかは
よくわからないのである。
でもまあ、始めてみればいろいろ感ずるところがあるのかも
知れない。
hirakawamaruでやっているので、
当カフェに関する苦情、同情、投げ銭などありましたら
そちらのほうへ書きなぐっていただければと思う。
友人の秋谷くんは、
いろいろな機械のパルスを言語変換して
ツイッターで通信している。
こちらの方は、大変興味深い試みで
親父のバイタル情報を携帯電話でリモートキャッチできるように
なると思うからである。
念願のデジカメを購入した。
スポンサーの手前もあって、
オリンパスEP1にしようと思っていたのだが
重量の関係と、価格の関係で
結局、リコーのGX200にした。
これが、大変なすぐれもので、しかもかわいい顔つきをしている。
それで、パチパチとやっているわけである。
上は等々力の狭い自室。
下は久が原の広々とした書斎。
お昼に処分予定の母の着物を物色しに内田くんのご令嬢るんちゃんが、来訪。




グラサン、カフェできめるるんちゃん。
ついでに、古道具屋で買った電気火鉢。

やっと、実家に拵えた書斎が落ち着いてきた。
本棚が二本入ったのだが、
家の本を全部持ってくると、二階の床が抜けてしまう。
一部を、ちびちびと車で運搬しているが、
すぐに、一杯になってしまうのだろうな。
カーテンがついて、
音響装置(といっても三千円のものだが)が入り、
あと、ソファが来れば完成である。
結構快適。
このごろは、仕事が終わると
久が原の駅前のスーパーサンコーで
食材を買って、袋をぶら下げて書斎へ戻るのが日課になっている。
夕食をさっさとこしらえて、
老いた父親と二人で晩餐をする。
「今日はどうだい」
「うん、寒かったよ」
「味はどうだい?」
「うん、旨いよ」
「明日は何を食べたい」
「何でもいい」
「好きなものしか作っていないからな」
「それでいい」
「栄養とか、何も考えていないからな」
「それでいい」
「たまには、外に食べに行くか?」
「いや、うちでいい」
料理の腕は日増しに上達している。
たくあんや、ねぎに包丁を入れる速度が
三倍速ほどになっている。
毎日父親の夕食をつくり、昼の分も用意しているのだが、
こういう家事をしていると
人間とはなるほど食うために生きているのだなと
実感できる。
五時を回ると今日は、何を食おうかということばかりを
考えているのである。
父親も、食うこと以外はあまりすることがないようである。
昨晩はたまった洗濯を夜中にして
部屋の隅に干したのであるが
飯の支度、洗濯、掃除と家事にはきりというものがない。
繰り返しがあるだけである。
まあ、この繰り返しには、何か意味がありそうで
それなりに楽しいものでもあるのだが
毎朝家を出て、電車に乗って
仕事モードに切り替えるのが難しいのである。
自分の会社は、年度末であり
資金繰りの算段と、こじれた仕事の手当てなど
会社モードは目一杯、手一杯で
落ち着くことがない。
だいたいが走っている。
こうやって、走り回って稼いだ金は
日々の繰り返しを養うために
消えていくのである。
バンクーバーでは、冬季オリンピックが
行われているが、
最近はほとんどテレビを見なくなった。
たまにスイッチをいれるが、
なんだか腰を入れてテレビを見る気にならない。
喰って、掃除をして、部屋の整理をして、
洗濯をして、ぱらぱらと本のページをめくって、
風呂に入って、音楽を聴いて、一日が終わる。
今朝起きて、カーテンを開けると
ちらほらと雪が舞っていた。
かように、とりたてて
書くこともない静かな日々が続いているのである。
オールナイトニッポンのつかちゃんでおなじみ
塚越孝さんのインターネットラジオ番組『つか金フライデー』に
出演しました。三週連続で「経済成長という病」「人口減少局面に入った日本」について、風呂敷を広げています。
高木広子アナもご一緒です。
http://blog.fujitv.co.jp/friday/index.html

箱根二泊三日の
中国語研修が終わり、
そのまま実家に戻って、本棚を組み立てたり、
机を組み立てたりしている。
なんとなく、書斎らしい空間が出来上がってきて
壁に母親の遺した書を架ける。
あと本棚がもう一本くるので、
それを組み立ててソファを入れれば完成である。
しかし、家にある本を全部持ってきたら
床が抜けてしまうことになるので、
持ってこれる本は限られる。
ま、それでも一応は仕事場としては快適な
空間になりつつある。
カーテンがないので、布地を画鋲で窓に吊るしてあるが
これが案外の効果で、タビストリー風情を醸し出している。
執筆中の『移行期的混乱』は第四コーナーを回ったところだが、
しばし、引越しの準備で中断している。
藤原書店から、日米安保について何か書かないかと
お誘いをうけて、そちらも平行して書いている。
これは学芸総合誌『環』に掲載予定のものである。
安保に関しては、
箱根の中国語研修の合間をぬって内田くんと
話をした。
こちらは、内田ブログに面白い見解がある。
日米安保は、日米の圧倒的な力の非対称の中で
生まれたもので、日本人は自分は弱いものであることを認めることができない。
弱さを認めるには、強さが必要だという逆説である。
今日、日本は少しは強さを獲得できたのか。
俺の方は、以前朝日新聞に投稿した
「理想論で悪いのか」という憲法改定に関するコメントに
対する反論に対して、
この機会に考えるところを書いている。
国論を二分する九条の問題に関しては、
賛成、反対の双方にそれぞれの言い分があり、
それぞれの正しさと、瑕疵が含まれている。
いずれにせよ、これが正しいと言う絶対的な論拠というものは
政治的な問題に関しては存在しない。
ただ、戦後六十年間戦火から距離をとっていられた事に関しては
これを憲法の効用のひとつだと考えてよろしいのではないかということを
朝日には書いたのだが、それに対して
バカを言うな、戦後の日本の平和を守ったのは日米安保条約であって、
憲法なんかではないという叱責、恫喝が手元に届けられてきたのである。
俺は、朝日の自分の文章に関して、
「憲法」のところをそのまま「安保条約」と置き換えたって
論旨は同じであると考えているのである。
つまり、戦後の日本の平和は、
ひとつは憲法、もうひとつは安保が担保してきた。
ごく大雑把に言えば、憲法は左翼陣営が、安保は右翼陣営がサポートしてきた対称的に見える
論件だが、じつのところ憲法九条がなければ、
日米安保条約というものは存在していなかったはずである。
憲法九条も、日米安保も危険な敗戦国日本がアメリカによって
なかば強制されたシステムの中に生まれたものである。
同時に憲法も、安保もそれが採択された時代状況と、現在の時代状況は一変しており、それらが持つ政治的・軍事的意味合いもまた刻々と変化してきている。
問題は、戦後数十年のなかで、
民主化が進んだ日本が、憲法も安保ももう一度自ら選び取ってきたのか
それとも惰性によって流され続けてきたのかというところにあるだろう。
結論的にいえば、真理はその中ほどにあるといえばよいのだが、
どうも後者の色が強いというのが真実に近いかもしれない。
憲法も、安保も、日本人は、それをそれを話題にした途端に
擁護論も、反対論も含めて本来の思考というものが
まったく働くなるような心理的トラウマに呪縛されてしまうのである。
どうしてそうなるのか、
今、それについて書いているのである。
参考のために、朝日に書いたものを掲載しておく。
理想論で悪いのか
― 憲法の立ち位置
国論を二分するような政治的な課題というものは、どちらの側にもそれなりの言い分があり、どちらの論にも等量の瑕疵があるものである。そうでなければ、国論はかようにきっぱりとは二分されまい。国論を分けた郵政法案の場合も、近頃かまびすしい憲法の場合も、重要なのはそれが政治課題となった前提が何であったかを明確にすることであり、第三の可能性が何故排除されたかについて配慮することである。政治は結果であるとはよく言われる。仮に筋の通らぬ選択をしたとしても、あるいは個人の心情がどうであろうとも、結果において良好であればよしとするのが、政治的な選択というものだろう。ただし、結果は結果であって、希望的な観測ではない。アメリカのイラク介入の結果を見るまでもなく、しばしば自分が思うことと違うことを実現してしまうのが、人間の歴史というものである。
その上で、憲法改正の議論をもう一度見直してみる。戦争による直接の利得がある好戦論者を除外すれば、この度の改憲問題は反対派も賛成派も平和で文化的な国民の権益を守るという大義によってその論を組み立てている。護憲派は、広島、長崎に被爆の体験を持つ日本だからこそ、世界に向けて武力の廃絶を求める礎としての現行憲法を守ってゆくべきであると主張し、改憲派は昨今の国際情勢の中で国益を守るには戦力は必須であり、集団自衛権を行使できなければ、国際社会へ応分の責任を果たすこともできない、と主張する。なるほど、どちらにもそれなりの正当性があり、等量の希望的な観測が含まれている。 しかし将来起こりうるであろうことを基準にして議論をすれば、必ずこうなるわけである。では、確かなことはないのかといえば、それは戦後六十年間、日本は一度も戦火を交えず、結果として戦闘の犠牲者も出していないという事実がこれにあたる。政治は結果と効果で判断すべきというのであれば、私は、この事実をもっと重く見ても良いのではないかと思う。これを国益と言わずして、何を国益と言えばよいのか。
「過去はそうかも知れないが、将来はどうなんだ」と問われるであろう。現行の憲法は理想論であり、もはや現実と乖離しているといった議論がある。私は、この前提には全く異論が無い。その通りだ。確かに日本国憲法には国柄としての理想的な姿が明記されており、それを世界に向けて宣言したという形になっている。理想を掲げたのである。そこで、問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。もし、現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。政治家が変転する現実の中で、臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。当の政治家が、これを現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障ると言うに等しい。現実に法をあわせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」をないがしろにする社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。
以前やっていた会社
アーバンの時の主要メンバーのひとりである
吉沢くんのご母堂がお亡くなりになった。
謹んでお悔やみ申し上げます。
父上はすでに鬼籍の人になっているが、
この方は日本の連珠チャンピオンで、
鬼の吉沢との異名をもっていた。
祖父は有名な登山家で、
白髭をたくわえた哲人風の顔が
某社のウイスキーのテレビCMで流れていた。
吉沢くんはサラブレッドなのである。
駄馬である俺とは違い、
かれは大変な母親思いで、
今日も姉上より、
「自分は弟の足元にもおよばない。
まかせっきりでした」
というお話をうかがった。
今日の告別式では、
喪主の挨拶として、
お通夜までの三日間を、
自宅に棺を安置して、
会話をし続けたということが語られた。
かれの愛惜がこちらの胸に迫り、
俺ももっとおふくろを大切にしていればと、
誰でもが持つ感慨に耽ったのである。
ほんと、
親孝行したいときには親はなし
なのである。
明後日は、俺の方のおふくろの
四十九日である。
それまでに、実家への引越し、
こんがからった会社仕事、
原稿書き、
あらたな注文、
めしの支度、
となんやかやで忙しい。
いまはまだ仮に設えた
仏壇に手を合わせる。
おふくろ、とにかくたのむ。
これでは、親に金を無心する息子と同じであるが、
その親がすでにいないという事実だけが違うのである。
それでもひとは、手を合わせて何かを祈願する。
それで、何か解決するわけではないのだが、
手をあわせてたのむだけで、少し気持ちが軽くなる。
少し気持ちが軽くなると、
何かが解決したりするのである。