みなさん、こんにちは。ラジオデイズ通信の第2回をお届けいたします。
これを書いているのは八月九日。1945年のこの日は、長崎に原子爆弾が投下された日です。 長崎市の人口24万人(当時推定)のうち実に10数万人が死没した日であり、わたしたち日本人が忘れてはならない日です。
2011年3月11日を経験した日本にとって、1945年のこの日のナガサキと6日のヒロシマの風景は、過ぎ去った昔日の悲劇ではなく、現在に直接的に接続された日本人の原風景として浮かび上がってきました。
徹底的な空間破壊と、放射能による時間の破壊について、わたしたちはこれから先何度も自問していかなくてはならない。今、この瞬間においても、福島の原子力発電所からは大量の放射性物質が漏れ出ており、それらが発散し続ける放射能はこれから先、わたしたちの子孫の代まで影響を与え続けることは明白な事実だからです。
原爆と原発の意味について考えること。それは、これから先の日本人がどのような文明を作っていくのかを考えることであり、ひとりひとりが社会に対してどのような立ち位置に立つべきかを考えることでもあるでしょう。
今回のラジオデイズ通信では、2001年の9月11日に、東京とニューヨークで、歴史を揺り動かしたテロリズムを目撃していた二人の画家の対話「震災以後」をご紹介したいと思います。かれらが、芸術家としてセプテンバー・イレブンをどうとらえたか。そして、今回の大津波と原発事故にどのように向き合っているのか。この都市化し肥大化し、テクロノジーとマネーが支配的な文明の中で、芸術家というものが、何であり、何であるべきか。真摯な対話を是非ともみなさんにもお読みいただきたいと思います。
長い対談ですので、何回かに分けてお届けいたします。
対談者のひとりは、ラジオデイズにもご出演いただいた、山口啓介さん(武蔵野美術大学客員教授)。
1962年生まれ。大型銅版画作品で数々の賞を受賞。その作風から「方舟」や「宇宙船」のモチーフ、また宇宙的、生命的イメージが知られることとなり、デュッセルドルフのアトリエで数々の作品を発表してきた方です。
もうひとりは、白井美穂さん(女子美術大学講師)。東京藝術大学を卒業後精力的に作品を発表し、1993年にアジア交流基金日米芸術家交換プログラムで渡米し、以降2007年までニューヨークで制作を続けており、セプテンバー・イレブンでは、グランドゼロから500メートルの至近で生活していました。
では、この二人でしか語りえない、戦後、セプテンバーイレブン以後、震災以後についてのお話をお聞き下さい。未発表対談です。
『震災以後』 対話:白井美穂x山口啓介
第一回 芸術家のまなざし━ニューヨーク・フクシマ
■9.11-ニューヨークの反戦パレード
山口:僕は1992年から93年にかけて、足かけ1年半近くアメリカで生活したのですが、とくに最初の数カ月はACCのグラントでニューヨークに滞在していました。その頃のニューヨークと今はまた違うと思いますが、それでも依然、あの都市はまず金融の中心地というイメージがあります。
ところで、先に少し白井さんが話されていたことですが、そういう場所だからこそ、金融を中心とした”資本主義”と言わざるを得ないのでしょうが、それを批判する、これも取りあえず”社会主義的な方向”といえるような人たちが、むしろアメリカではニューヨークに集中していると言われたとき、ああ、なるほど、と思ったのですね。
一方、日本では、後者のような人々は別に消費の中心地である東京にしかいないというのではなく、むしろ東京の消費文化に批判的な人びとは東京にもいますが、それ以外の都市や土地にもそれなりにバラバラといるような気がします。それは理論的なものから、もっと生活感覚に至るものまで。なにか、白井さんにそう言われたとき、いわゆる左寄りといわれているような思想が、アメリカの地方には馴染みにくいなと、なんとなく感覚的に納得できるような気もする。
白井:そうですね、アメリカ社会というのは、ニューヨークを始めとする大都市に住む、アメリカの人口の約1%ぐらいのエリートによって牽引されていると言われています。金融の世界を牛耳る人達もそこに含まれますが、思想的な指針を与えることに貢献し、社会を今現在の状況とは違った方向に変革しようとする人々もその中にはいるということです。
たとえば、2001年に同時多発テロがあり、その報復とイラク戦争に国中が傾いたときに私はニューヨークに住んでいて、その際にイラクが大量破壊兵器を持ちアルカイダに関与したという推定を否定し、攻撃に強く反対した大勢の国民を間近に見ました。ニューヨークはアメリカ的な中心でありながら、アメリカ的な大勢に批判的人々もまた集まっているのだなと思いました。
山口:たとえば美術でいえば、クレメント・グリーンバークという人は、いわゆる社会主義者として出発した人ですよね、つまり全然、資本主義の方向を向いていない人だった。また、現在も、フレドリック・ジェイムソンという社会主義者でマルキストであることを明言している著名な思想家がアメリカにはいます。
僕なんかがおもしろいなと思うのは、アメリカみたいな国に、なぜこのような人たちが魅力的な仕事しているのか。日本にはヨーロッパ由来の社会主義運動というのが戦前に既に入ってきていた歴史があり、また戦後の一時期は僕らが知らない上の世代の学生運動もありました。それは僕らが小学生の頃でしょうか。それが萎んでいった後に今の日本社会がある。
ところがアメリカというのは、反共産主義の西側諸国を担っているという立場があり、かなり徹底した政策があったのかも知れない。もちろん戦前の日本にも厳しい弾圧があったのでしょうが、網目をくぐって日本に入ってきたようなものさえ、現在まで、一貫して入れないようにしてきたようにも見えます。ほとんどシャットアウトできて、一部の民衆的な運動自体がないとすれば、その分、ある意味で現実的な挫折もまた経験していないのではないか。
だから今、ジェイムソンを読んでも、なにか明るいのですね。また、グリーンバーグはニューヨークの住人だったと思うのですが、アメリカではそういった人たちはどう思われているのでしょう?
白井:私自身がジェイムソンを読んだのは80年代ですが、ハル・フォスター編集の論文集『反美学』(室井尚,吉岡洋訳 勁草書房1987)の中に収録された「ポストモダニズムと消費社会」です。当時はその本自体がアメリカで大変な反響を持って読まれたようで、それらの美術と社会批評の視点は今でも影響力を持って引き継がれているように思います。民衆的な社会運動にいては、実際には私がニューヨークで暮らしていた14年間のことしか言えないわけですが、9.11以降、イラク開戦に突入していくアメリカ社会の中にいて、アクティビズムというものは非常に自分自身のなかで現実的に、意味を成すようになってきました。
当時は同時多発テロ直後の混乱と、悲しみと恐怖に国中が包まれていましたが、次々にTVなどのメディアに現れて、それを増長させるかのような政治家の発言には驚きました。次はアルカイダがパキスタンの核兵器を手に入れて攻撃してくる可能性があるとか、スーツケースに収納出来る小型核兵器を貨物船で運び、マンハッタン最南端のピアにつけて爆発させるという情報もあるとか。そのピアが私の家のすぐ裏手だったので、もう恐ろしいの何のって。しかしそうやって恐怖を煽ることで報復戦を正当化し、イラクに爆弾を投下し始めるのです。そのこと自体が、最大の恐怖でした。一体私はなんというところに住んでいるのだろうと。
そして2003年、イラク戦争反対のプロテスト・マーチが行われ、20万人の人でニューヨークのダウン・タウンが溢れ返りました。こうした運動にはあらゆる種類の人達、思想家からビジネスマン、教育者、学生、労働者、主婦、フェミニスト集団、人権保護団体、アーティスト、イーストヴィッレジのヒッピーまで参加します。共和党の大会がマジソン・スクエア・ガーデンで行われた際も、ブッシュ政権打倒のため、ノンフィクションの映画監督マイケル・ムーワや、黒人の公民権運動を行ったジェシー・ジャクソンが先頭でテープカットし、その後に私達数万人の参加者が続いてパレードをしました。
多くの場合こういったことへの呼びかけは、インターネットを介して当時一段と早く広がるようになっていました。アーティストの多くは当然のように参加して、私達は主にANSWER (Act Now Stop War End Racism)というオーガニゼーションから情報を得ていました。
アメリカでも自分たちが世界金融の中心にあって、第三世界の人々の経済から搾取している立場であることに自覚的な人々は絶対にいるわけなのですね。そういうことが見えてない人々が大半なのですけど。ニューヨークのアートマーケットというのは一大産業でもあるけど、それが金融業と同じく、グローバリゼーションということの上で歪みをもたらしているということも、極端に言えば、アート界の人びともよくわかっているはずなんです。
山口:たとえば名前をあげるとしたら?
白井:ほとんどの人達がそのことに自覚的であるにせよ、ゲームを止められないということだと思います。批評家でいえば、ニューヨーク・タイムスのロベルタ・スミスと、当時ビレッジ・ボイスの書評をしていたジェリー・サルツ、二人は夫婦なのですけども、彼らの批評には共感する部分も多かった。今は、ジェリー・サルツなどアートコンテストのTV番組の審査員まで始めてしまったと聞いていますが。
山口:ところで、あの9.11のとき、僕は兵庫にいてテレビで、確か2機目の飛行機が突っ込む瞬間をライブで見てしまったのですが、白井さんはそのときどちらにいました?
白井:私は、ワールドトレードセンターから500mぐらいの自宅にいました。
山口:それは、大変な体験だ。
■3月11日以降-しかし、危険のあるところ、救うものもまた育つ。
山口:多くの起こっていることは両義的です。たとえば、あの2本のビルに突っ込んだ飛行機以外にもペンシルヴァニア州に落ちた旅客機がありました。ところが、その墜落して残骸となった飛行機の映像を見た記憶が僕にはないのです。どうも実際に、落ちた旅客機には報道のカメラが近づけなかったようでもありました。それで日本では一部に、旅客機は墜落ではなく撃墜され木端微塵になっているから現場を見せられないのではという憶測も飛びました。
しかし数年前、この旅客機をテーマにした映画がありました。僕は観ていないのですが、この映画のコマーシャルフィルムによれば、乗客と乗っ取り犯との格闘の結果、飛行機は落ちたのだという、9.11当時に報道されていたような方向に従ってつくられていたのではなかったでしょうか。この映画と同じ年に公開されたオリバー・ストーン監督の「ワールドトレードセンター」も、あえて事件の真相には触れず、崩壊現場の救助活動に焦点を絞った作品だといいます。ところがこの同じ監督は、1991年に「JFK」という映画をつくっていて、この作品では、当時の、したがって現在までも米政府が発表した公的なケネディ大統領暗殺の真相とされているものに、真正面からかなり腰を据えて異論を唱えていたと思うのです。
白井:その話は、9.11の直後から、やはりペンシルヴァニアに落ちた旅客機が追撃されたのではということを友人のアーティストから聞きましたね。ワールドトレードセンターの崩壊さえも地下室で爆発音がしたと証言もあるぐらいですし、だいぶ後になって離れて建っているワールドトレードセンターの第7棟が崩れるとうこともあったので、いろいろと陰謀説があるくらいですから。
山口:真相はいつでもわたしたちにはわからない。これは9.11とは全く性質の違うことなので、あえて2011年の3月11日、とよび、そのことについて話すのですが、あのアメリカで起こったことと全く性質が異なっているし、類するようにも扱えない。
あの東北沖の地震と信じられないような津浪の惨禍が起こった。これは天災であり人間の業ではない。しかし、結果として今でも、福島第一原発事故では、何かある意図によって真相が隠されつつあるというように見える、というとことは感じてしまう。日本政府はわかっていることは全て明らかにしていると言っているし、実際、未曾有な事態の中で、そうなのかもしれない。
ところが一方では、震災以降、たとえば、30年も40年も原子力発電所の危険性を警告してきた複数の研究者の存在が、わたしたちにも見えてきたということがあります。自分の不勉強のせいでもあり、僕が知ったのは、ネット上が最初なのですが、従来の大きなメディアではよほど注意を怠らない限り見過ごしてしまうのか、一方で彼らの存在はベールがかかったように伏せられていたようにも見えるということもあったと思うのです。そしていま、そのベールがはがされつつある。
白井:震災以後、確かに政府は何かを意図的に操作していたかも知れないし、本当に事実がわからなかったのかも知れない。でもそれを批判するということもできますけど、たとえば、私自身が、積極的に原発反対の活動をしてきたわけでもなかった訳です。
実際、爆発してから反対することは誰にもできるけど、今まで使いたい放題電気を使って生活して、東北の人たちが被災し、その地で発電していた電力をわたしたちが東京で使っていたということもあり……。だから、これからですよね。こんなことになって気づいてしまった。
山口:……これは難しくて厳しいで問題ですね。
白井:はい。
山口:自分自身のことで言えば、僕は20年程前の初個展を”方舟”の作品で出発して、アメリカから帰国した翌年の94年に《ENOLA GAY》という大きな版画作品と原子力発電所の冷却塔とプルトニウムを運ぶ船をモチーフにした立体作品を発表しました。また、その後、ドイツで《原子力発電所》という絵画のシリーズを制作し、近年は劣化ウランの被曝したこども《DU Child》を木版でつくりました。
これらは、蜂の巣や蘭や蓮といった植物など自然をモチーフにした一連の作品群と交差して生まれてきたものなのですが、たぶん反対運動といった次元を考えたとき、自分の中で充分にそれが自覚されているということとも違っていて、何か気になるという……気になるから、それが何なの自分自身で確認したくなってつくってしまった。むしろ危険を感じて一瞬身構える動物のような反応だったと思うのです。
ところが今、本当に自然の力は凄まじいと言うしかない。もともと方舟のイメージは創世記の洪水、津波や黙示録的なカタストロフィーと結びつけられていますが、この方舟、原子力発電所、被曝という要素を、現実はあっという間に結びつけてしまった。これらが目の前に起こってしまったとき、何かの底が抜けてしまった気がした。だから、今日で震災から112日目ですが、今しばらくは、とにかくこれを注視して見ていくこと、書きとめていくことしかできないような気持ちになっている。
白井:今回のこと、ニューヨークで実際に経験した9.11の時も似たような気持ちを経験しました。起こるべきことが起こってしまったような。すごく驚くのですけど、一方どこかで、ああやっぱり起こってしまったのかというような気持ちがあって。私の叔父というのはずっと京都に住んでいたのですけど、伏見の予科練に所属していたことから広島で被爆しているのですよ。
広島に原爆が落ちた後、死体の山を片付けなければならないとか、大変な思いをしているのです。それで終戦になってもしばらく帰ってこないので、母もおばあさんもおじちゃん死んじゃったと思っていたのですね。そしたら、被曝したから首のあたりがパンパンに膨れて帰ってきた。その時の死体の山の写真であるとか、沢山の資料を持っているはずなのですが、家族には一切見せない。
叔父は今も健在なのですが、ある日、80歳ぐらいになったとき、突然、今まで一切話をしなかった戦争のことはやはり話さないのですけど、「自分の人生は二十歳の時に終わった」と言って。その後、銀行員になったりして皆に尊敬されながら仕事をしているわけですけど、個人の人生を根底から変えるようなことが過去に、日本の歴史にはあったんだなと感じていて。
私は9.11があった時に、突然、戦争が始まったと思ったのですよ。地球の裏側にいた山口さんはそれをリアルタイムで見ていても、あまりにもグランドゼロから家が近かったので、爆音と煙で囲まれてしまい、何が起こっているのか最初はわからなかったんです。
ニューヨークという都市やアメリカが奇襲されている、それほど、憎しみを持たれてもおかしくないと潜在的に理解できたのですね。文化と経済のしわ寄せがいっていて、アメリカの帝国主義というものが、大変な憎しみを買うということがあり得るということを、わたしたちがわかっている。だから、これはあり得ないことじゃないと。そんな感じ方をしたのです。
そういうものは、山口さんが普段、原発がこういうことになるんじゃないかとか、作家の予感として内で抱えているようなことを、やはり、アーティストとしてみんなどこかでわかっている。こういった感覚が今回の震災と原発の事故に対峙して、なぜ今まで大丈夫ということにしていたのか、原爆を落とされた国なのに、原子力で生活をしてきたこと自体が、今更ながら間違っていたのじゃないかと。
こんなに地震が多い国なのに、安全では無かった訳です。わたしたちはこれとどう向き合っていくのか。若い人を含めてこれからアーティストがどう生きるのか最大の興味であり、私達の人生におけるチャレンジではないでしょうか。
山口:数年前に白井さんと横浜のBankARTで一緒に参加した展覧会でお会いした時、これはご自身の個人的な身体感覚だと言われていたのですが、カタストロフィーがいくつか来るんじゃないかと。そういう予感は、いのちを生み出す女性には、僕はあるのではないかと思うのです。動物的な勘というのか、予感のようなものに関しては、むしろ女の人の方があるんじゃないかと思うのですが。
今、原発事故で、最も深刻に感じている人々は、福島のお母さんやこれからこどもを生もうとしている女性じゃないかと思うのです。身体的なセンサーが働いて、たとえば、小出裕章さんの本はわかりやすくは書いてあるのですが、それでも専門的な要素は避けられない。でもそのような科学者の本も女性にもよく読まれるようになったり。それは今、必要だからだと思う。
白井:女性の身体感覚は男性とは違うことは確かにあると思う。私は今、女子美で教えているのですが、昨日、大学院生たちに、アラン・レネ監督の「ヒロシマ・モナムール」という映画を見せたのですね。原作はマルグリット・デュラスで、女性ならではの視点で広島の原爆投下という世界的な悲劇と恋愛について、女性の声を通して語られた物語で、ヌーベルバーグの最高傑作だと思っているのですけど、それが50年前の作品にも関わらず、今の二十二、三歳の女の子達にも届いたようで、皆とても感動していて。歴史の悲惨さと、個人の愛の記憶が重なり合っているのですね。
山口:その映画は見ていないのですが、以前から知ってはいました。実は、先日、震災のため今年は行われなかった「原爆展」に関する会を丸木美術館に聞きに行ったのですが、「原爆展」企画者の正木基さんの講演にも、その映画のことが少し紹介されていましたので、記憶に新しいのです。
ちょっと、ここでまた最初の話に戻したいのですが、ニューヨークでの話、つまり、アメリカの金融と文化の中心であって、同時にそのアメリカ的なものに反対したり批判するニューヨークの人々の存在です。アメリカは20世紀中頃から現在まで、戦争に最もポジティブな国だと見える。
しかし、最近ふと、これだけ戦争という危険に、一部でも兵士である国民と、それを受け入れる社会が現在でも接しているからこそ、また、戦争に反対する人々もその同じ場所から生まれてくるかも知れないと思ったことがありした。
以前は、このような人々の批判の声や運動は、結局はある種のガス抜きとか、強面のイメージを中和させるもののように、大きなアメリカという国の体制にとって利用されているようにも、離れたところから、自分はななめに見ていた気もします。
ところが、震災後、目の前にふってきたような本で、先日、白井さんが聞いてくださった平川克美さんとのラジオでの対談でも言っていたと思うのですが、ハイデガーの『技術への問い』(関口浩訳 平凡社2009)という本の中に、ヘルダーリンの詩の引用から
「しかし、危険のあるところ、救うものもまた育つ。」
とあるのを知ったのですね。戦争の悲惨さという危険のあるところに、そこから救うものもまた育つ可能性は確かにある。資本主義のシステムとか膨張の危険があるとしたら、やはりその最も親しんでいるその場所には、切実な何かが芽生える場所でもあるかも知れません。
そういうことは、本質的に主体的な立場に置かれないと実感できない感覚であり、またそういう状況にならないと見えてこないものだと知りました。なぜなら、危険は、3月11日以降、この日本に起こっているから。
津波でさらわれた東北の市街地の風景は、多くのに人々にとって、まぎれもなく徹底的に空爆されたような戦争の風景です。福島原発は、爆発直後のチェルノブイリ原発4号炉のように破壊された四つの建屋は、最初の爆発から112日が経った現在でも、スカスカの穴だらけで不気味な姿をさらしており、そこから、決して見えない放射性物質と、これも実際にはよく見えない汚染水を地下へ、海へとたれ流しているはずです。
しかし、科学技術が起こした技術上の問題そのものには、芸術に何かできるはずもなく、自然科学の問題はあくまで同種の技術によって手当されるのでしょう。でも、未来の人間の選択には芸術は関われるのではないかな。そうでないと、芸術が存在する理由が大きく失われるのじゃないのかと、この現実から問い返されているような気持ちがあります。
■反転するパラダイム
白井:危機の只中でアーティストが何をするか。これはやはり表現者としての自分の道を、さらに新たに模索するのですね。テロ直後には、とある画家が、アーティストはたとえ強制収容所の中であっても絵を描くのだから、ソーホーのスタジオで作品制作する私には何の問題もない、と発言していました。そういった強さと共に、事件の衝撃を個人が受け止め、本当に意味のあるものとして各自の表現行為の中に経験が昇華されるには、実際は時間がかかると思います。
一方で今なにかを阻止しなければ、さらにたくさんの人の命が奪われ、不正がまかり通ると感じた時、自分の怒りやおののき、悲しみをもって街頭に出て意見を表明するという、即座に行われる行為がプロテストなのです。アメリカが世界を覇権していくときに民主主義という言葉が使われたのでしょうけど、先の反戦運動のパレードに参加しているときに、参加者同士の掛け声があって、たとえば「Show me what democracy look like?」というと「This is what democracy look like!」 という、それは「民主主義がどんなものか見せてみろ」という問いかけに、「これが民主主義だ」と答えながら楽器や鳴りものを鳴らして皆で街をねり歩くのです。そこに参加することが喜びであり、同じような考えをする人達がこれほどいるんだということが、その時、わかるのですね。それは皆が体感できる、社会の変革を目指そうとする人達が一体となった、人間的な表現の場であるのです。
山口:白井さんと僕は、生まれた年が同じですね。わたしたちは、自分の成長と並走するように高度成長期のときに育ち、大学生の頃には世間はバブルだったのだろうし、その気分はバブルが弾けたとされている90年代最初の頃にもまだ世界では実感されないで、しばらは続いていたのですね。
だから92年当時にアメリカにいた頃、あちらの大学院生たちとつき合うことがあって、彼らの世代がアメリカの60年代から70年代の、つまり彼らの親の世代よりもむしろ豊かになれない、社会的にも悪い方に行っているというような気分を、なんとなく共通して持っていたことに、ちょっと奇異な感じがしたのです。当時のアメリカ経済は頭打ちしたような状態でした。僕らが社会に出た頃、社会の経済は右肩上がりが続き、親の世代よりもさらに豊かに、社会もよくなると漠然と思っていたところがある。ところがここずっと、日本では、まさに20年ほど前にアメリカで感じたこの気分が多くの人々に実感されている。
白井:若い世代はまさにそうですね。希望を将来に対してなかなか持てない雰囲気になっています。
山口: そこで芸術の役割はなんでしょう? この度の原発の事故が起こったというのも、人災といわれ、今わかっているその理由を要約するなら、利益誘導の上に必要なコストを省いたという経済の問題ですよね。僕自身は作品をつくり、結果としてそれを売って生活しているのだから、まったく経済的な社会に属していますし、誰もが貨幣経済から逃れることはできない。
しかし欧米にあるような現代の美術の市場が日本に定着しているわけでもなく、多くの今の日本の人にとって、美術作品は買うものではなく見るものです。デザインや建築のようにクライアントがいるわけもなく、そんな厳しい環境の社会の中で、なぜ美術をやるのかというのは、仕事として生きていけば、自然と問われる。
白井:アメリカでもここのところ、本当のアート好き、”アートラバー”がいなくなったとよく言われています。ヨーロッパではそうでもないようですが。
山口:そんな言葉がカテゴリーのようにふつうに使われていること自体に、なにか深刻なものを感じますね。つまり、画廊にはもともと日本語では美術愛好家とよばれるような人びとがくるのが前提ですから。”アートラバー”じゃない人が画廊に来ることが多いということですね?
白井:私が暮らしていた頃のアメリカでは、美術品がどんどん投資の対象になっていた頃で、アートフェアで作品を買いまくって、自分で買った作品を見ようともしないコレクターが増えてきたという話はよく聞いていましたね。そのような買い手は画廊には来ないでアートフェアで一気に買う。画廊も普段から開けているのですが、若手の画廊など一年の売上の八割をアートフェアで稼ぐとかね。サブプライムローン破綻以前の話ですが。
ただ、最近はアーティスト同士の横のつながりには面白いものができあがっていて、新しい運動体のような働きをしたいという動きが高まって来ていると感じていますね。そんなマーケットもそもそもなかった日本では海外に出ていく人もいると思いますが、日本でも同じようなムーブメントが生まれつつあるということを、この最悪の状態の中でも、いま、言われたような”救い”の方向を皆が模索している状態が潜在的にあることを確かに感じます。
同時代を生きているアーティスト同士でまた何かやれることがある。結局、歴史に残るというものは、どんな時代でも芸術運動でしかあり得ない。ダダとかシュールレアリズムもそうで、キャバレー・ヴォルテールと名付けた試みなど、いろいろな前衛アーティストが集まって歴史的な動きが生まれるという、そういうものですね。個々のアーティストが頑張っていても、そのようなダイナミズムなしには大きく歴史の中に位置づけられないから。
山口:そういう問題は微妙ですよね。とくに現代美術はイズムでやってきたと思うのですね。でもどうでしょうね……たとえば過去をみると、ルネサンスが運動体といわれればその通りかも知れないしここからいっぱいアーティストが出てきていますが、たとえばフェルメールでもいいし、ゴッホでもいいのですが、あの人たちは例外かもしれないですけど、わりあいに孤立している感じがする。音楽ではバッハなんか凄い人だと思いますけど、わりあい生前は孤立した周辺にいるようで、だから死後100年間ぐらいは忘れられていた。
白井:デュシャンみたいな人は、ダダとかシュールレアリストと関わっていても、スタンスを取るのがすごく上手くて、それらから結局は距離を置くじゃないですか。ああいうのが一番上手いんだろうなと(笑)。
山口:クレーは1940年、カンディンスキーは1944年に亡くなっていますが、あの時代のヨーロッパは、ナチズムが台頭して第二次世界大戦前まで、ものすごく暗い時代です。それでも美術市場はあったはずですが、少なくとも彼らの方を向いていたとはいえないのじゃないかな。彼らは一部の進歩的な人々の間ではアバンギャルドとして認知され、青騎士という芸術運動の萌芽のような活動を始めたけれど、それゆえに実際には退廃芸術として迫害もされた。少なくとも美術環境も現在のようなものではなかった。むしろ隠された人たちではないでしょうか。
白井:でも、彼らには大パトロンがいたけど。グッケンハイムとかね。そして彼女らのソサエティー、サロンがあの時代の多くの芸術家を支えていた。そういったことがヨーロッパの強さだと思うのです。
山口:なるほど。ただ、彼らのパトロンの力は、彼ら自身をどの程度に救ったのだろうか? カンディンスキーの晩年はドイツに占領されていたパリの郊外で不遇に亡くなったと伝えられています。カンディンスキーが78歳で亡くなった翌年の45年には第二次世界大戦が終わる。3歳若いマティスは54年に亡くなっていますが、もしそれぐらいまで存命していたら? 明らかにマティスやピカソの晩年とは違いますね。おおざっぱに言えば、僕らはそれ以降の制度が整備された環境にいるのでしょうけど。
白井:社会の中で人の意識を喚起しアートを支えてきたということで言えば、アメリカではユダヤ系の人たちに、自分たちが重要な文化の基盤を築いてきたという意識がありますね。
山口:なぜユダヤ系の人たちがコンテンポラリーアートを支えているのかということは、どこか、反キリスト教的文化ということもあるのではないかな。ユダヤ教は偶像崇拝を禁じていますよね、だから図像というものを否定しているし、そのぶん抽象思考に長けた人びとです。
ところが、伝統的キリスト教文化は神の似姿を描くため具象絵画や彫刻の長い歴史と発達があって、その間、国を失った民族であるユダヤの人びとから見れば、いつかこの支配的な文化を解体し、反転してやりたいと思っていたのではないかな。アバンギャルドやモダニズムが起こったとき、抽象傾向の強いこの文化を応援したいと感じたと思うのですよ。金融業の力を持っていた人はモダンアートのパトロンとなった。そして第二次世界大戦後はこれを基盤として体制が整ったのではないでしょうかね。
ところで、僕がドイツに滞在した95年頃、たとえば当時開催されたドクメンタはフランス人の女性の企画者によるキーワードとされたのが「グローバリゼーション」という言葉でした。今、この言葉はどのように聞こえます?
白井:ネガティブなイメージがあります。
山口:やっぱり十五、六年経つと、こんなものだったのかとか、パラダイムの方向が反転しているということがありますね。市場原理主義も同じではないかな。
白井:そういうことを皆が真面目に考えるようになってきていますね。
(次回配信に続く)
アーチストの息遣いが聞こえてくるような対談ですね。
次回はいよいよ、「芸術の本質」と「芸術家の役割」に迫っていきます。お楽しみに。
■今週・来週(8/9~8/19)配信予定コンテンツ
8/9(火)
●《朝カルArchive》林望「春夏秋冬 四季の古典文学_冬」
8/12(金)
● 立川談笑の落語研究室 第15回〈泥棒〉
● 平山夢明の「ヤリボンこきまSHOW!」with高野秀行(上)
● 東京ポッド許可局@銀座(3本+α)
● 一龍斎貞山/文化白波「和国餅」
● 宝井琴桜/戦国の女 立花誾千代
8/19(金)
● 平山夢明の「ヤリボンこきまSHOW!」with高野秀行(下)
● 劇団☆新感線・粟根まことの「感隙トーク!」第5回(ゲスト:中山祐一郎)
● 注目の町山智浩再登場!!!イベント情報
絶妙トークで話題のホラー作家平山夢明が、
前回400人の会場が発売即完売となった人気映画批評家の町山智浩との
名コンビで送るトークショー、お早目のご予約を!!!
■「声」と「語り」のダウンロードサイト
ラジオデイズオフィシャルサイト
https://www.radiodays.jp/
■『ラジオの街で逢いましょう』(インターFM76.1MHz)情報サイト
http://www.radimachi.jp/
https://www.interfm.co.jp/
■ラジオデイズTWITTER
https://twitter.com/#!/radiodays_jp
■ ラジオデイズTV (USTREAM)
http://www.ustream.tv/channel/radiodays-jp
発行:株式会社ラジオカフェ
https://radiodays.jp/