『日本辺境論』(内田樹)について

11 月 16th, 2009 | Tags:

日本辺境論 (新潮新書 336)「平場」で知人に語りかけるようなフレンドリーな文体で書かれているが、

その内容は必ずしもとっつき易いものではないかもしれない。

見た目は柔(やわ)だが喰って見たら噛み切れない骨が詰まっている肴みたいなものである。

つまり、本書には、日本および日本文化をその中心で捉えるという困難を引き受ける、豪胆さと緻密さが、平易な語りかけの背後に伏流している。注意深く読めば読むほど、そこにある思想的な挑戦が、読者に一種の緊張感を強いることになる。

一読、これまでのところの、ウチダくんの作品の中では、白眉といってよい作品になっている。

同時に、これまでのところの、日本文化論の最高の到達点と示しているといってもよいと思う。

これまでの、(なんどもリフレインして申し訳ないが)、日本論あるいは、日本人の特性を示す形容はどんなものだったのか。

たとえば雰囲気に一気に流される付和雷同の傾向であるとか、容易に国際ルールに従わない陋古な島国根性であるとか、ロジックよりは場の雰囲気に従うといった空気迎合であるとか、様々に形容されてきた。

それぞれの理説には首肯すべきところもあるのだが、

いずれも過去あるいは現在の日本人の行動に対する観察の描写と主観的な断定に止まり、

それ以上の普遍的な概念というものに届くような思考のリーチを持ち得なかった。

つまり、何故日本人はそのように形容されるのか、

何故そのように自己規定してきたのか、

そしてどのような原因と経緯によって日本人の心理がそのように形成させてきたのかという、列島の人々の特異な心理形成のよってきたるところについての明確な根拠を示しえていないということである。

「当今の日本人は・・・」とか、「欧米に対して日本は・・・」とか、「普通の国になるべきだ」といった評言は、論者の立論そのものがまさに、この列島に生まれた特異な心理形成の成果なのだと思わないわけにはいかない。

 

そもそもひとつの国家的集団について、

それが、民族的な特異性をア・プリオリ(先験的)に有しているものだなどという

優生学的な論証など不可能なことであり、政治的な底意なしに、そのようなことがなされるということもまたなかった。

プロパガンダである。

それでも、歴史の中で何度も、日本人はこういう特性を持つものであるということが喧伝され、信憑されてきたのである。

 

ウチダくんの今回の仕事についての予想される批判のひとつは上記の、「政治的」に脚色された日本人論に加担し、それを下支えする論証になるのではないかということになるだろう。

無論、ウチダくんにとっては、そのような批判は想定済みのことであるだろうし、だいいち本書を注意深く読めば、日本人の民族的特性などということなどはどこにも書かれていないことに気付くはずである。

 

本書にあるのは、いわば心理学的地政学、あるいは地政学的心理学というもので、民族・血統の問題とは何のかかわりもない。

本書のキーワードは、「辺境」である。

「辺境」とは国家的集団が採用し、あるいは不可避的に採用せざるを得なかった集団的心理の立ち位置を解明するために導入された補助線のようなもので、この補助線によってわたしたちは実にありありと己の似姿を発見することになる。

本書の中には、実に多様な歴史的たとえばなしが紹介されている。いかなる外交的トランザクションの中でも時の指導者たちが「中心と周縁の物語り」という枠組みに呪縛されてきたことを示す数々の実例が引用される。そして、時に意外とも思えるこれらのたとえばなしを引き出すときの、ウチダくんの見事な手さばきが描き出す思想的乾坤には舌を巻くしかない。

「地政学的心理学」と言ったが、ウチダくんの手さばきはあたかも医師が病巣をつきとめ、それをとりだすように具体的かつ合理的である。(感覚的、情緒的でないということね)

読者は、この心理の襞をめくりあげる外科医(形容矛盾だけど)が、日本文化を診断し、その病理をつきとめ、桎梏を取り出してくるその手続きと手さばきに思わぬスリルを味わうことになるだろう。

 

民族的な特異性などというものは先見的には存在しない。しかし、古代から近世までの中国、近代のヨーロッパ、そして戦後のアメリカとそれぞれの時代における日本との間の心理学的な関係(吉本隆明の言葉を使うなら、「関係の絶対性」)というものはほとんど動かざるものとして説明することが可能である。

この着想は、丸山真男の日本文化論を「日本文化そのものは変化するのだけれど、変化する仕方は変化しない」というように読み換えたときに得たものだろう。

おそらく、この着想がなければ本書は、本書のようなかたちでは書かれることがなかっただろうし、この着想以外には国家的集団の特性といったものを規定することの危険なプロパガンダを回避する方法がなかったのである。

 

腰巻に養老孟司さんが実にうまい賛辞を書いている。

「これ以降、私たちの日本人論は、本書抜きでは語られないだろう。」 

そういう本なのである。

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