大乗仏教は出家在家の別なく全ての衆生のために説かれたお釈迦様の教えを奉じている、ことになっています。みんな一緒に彼岸に渡ろう! だれでも悩み苦しみの輪廻を解脱して悟りの世界に行けるのだ! 人は誰でも成仏できる、という有り難い教えです。
拙僧も大乗仏教の流れの最終、金剛乗にある密教で受戒していますので、大乗の仏弟子であることは自覚しています。その愚僧に、仏教に興味を覚えて以来消えることのない、小さな、しかし根本的な疑問があるのです。お釈迦様の仏教と大乗仏教、そして我が国の仏教の現状に関する、今まであまり口にしていない、記していない疑問です。
大乗仏教がどのように成立したのか、本当のところは分かりません。仏滅後100年が過ぎた頃、伝統を重んじる上座部と戒律の修正を訴える進歩派が対立した仏教の根本分裂により成立した大衆部系の出家集団と、お釈迦様の仏舎利を納めた仏塔(ストゥーパ)を崇拝した在家信徒集団との和合によって成立したという説が有力です。
大衆部は、その名が示す通り在家の信徒との関わりをより重視すること、お釈迦様の教えの原点に返り慈悲に基づく利他行と、それを体現する一切衆生救済を目指す菩薩を理想とするところに特徴がある大乗仏教の母胎となったと思われる出家集団です。菩薩のトップを切って弥勒菩薩が現れたのもこの頃のことです。それらが部派仏教時代に他派との論争を繰り返して西暦紀元前後頃に、北西インドの部派仏教内部の運動として発展し、新たな教義を確立していったことは明らかであり、大衆部=大乗仏教ではありません。
しかし、ここでインドにおける仏教と経典成立の歴史をちょっとでも学んだ者にはたちまち大きな疑問が生まれます。拙僧も30年以上も前の学生時代に教養課程で仏教学(大乗仏教と禅)と比較宗教学(キリスト教、イスラム、原始仏教)を学んだとき、疑問の芽が生じています。
お釈迦様以来の伝統を重んじる上座部系の仏教が、お釈迦様の話した言葉に近い一般民衆の言葉であったパーリ語によって南伝大蔵経を編纂し今に伝えて読誦しているのに対し、大衆のものであるはずの大乗経典が、ヴェーダ経典の聖なる神の言葉サンスクリット語で記されたのは何故か、何故記さねばならなかったのか?という疑問です。
サンスクリットはバラモンが神の言葉を独占し民衆と神の間に君臨するための言語であり、大衆がそのまま理解することは難しいものです。ちょうど中世のキリスト教カトリック教会が聖書を神父にしか理解できなくなっていたラテン語によって独占し、神と信徒との間に教会を君臨させたのと同じではないのか?ということです。
これはカトリックに対するプロテスタント革命に、上座部に対する大乗の仏教改革を比す考え方とは明らかに矛盾します。中世には既に一般に理解できなくなっていたラテン語による秘された聖書を、宗教改革によりドイツ語やフランス語など大衆の言語に翻訳して解放したプロテスタントと正反対のことを大乗仏教の経典制作者達がやっているからです。
大先輩に当たる優れた仏弟子達を批判するつもりは毛頭ありません。これは愚僧の持つ幼稚な疑問です。しかし、教えを聖なる言葉サンスクリットで残すことを進言したバラモン出身の弟子達に対し、お釈迦様が誰にでも分かる言葉で伝えられるべきだと明確に否定された主旨の言葉がパーリ語経典に残っていたと記憶しています。
そのお釈迦様のご意志に背いてまで、何故、大乗仏教の経典はヴェーダの神の言葉サンスクリットで記されなければならなかったのか? 滅後数百年を経てお釈迦様が神格化された結果なのか? そうならば何故南伝仏教の上座部経典は分かりやすいパーリ語のままで伝えられたのか? 内容についても、パーリ語仏典が人間仏陀であるお釈迦様の誰にでも分かりやすい対機説法の福音を伝えるに対し、大乗仏典はサンスクリットで表記され、時に荒唐無稽な神話的な物語の中に深遠な哲学的なメタファーを織り込んで、専門家の解釈を通じてしか理解できない難解な教理が盛り込まれている。三昧修行によって感得されたものと信じるとしても、これらはみな大乗の理想とは矛盾するのではないのか?
思想を物語に織り込むことには大賛成ですが、それをバラモンの独占する聖典語で記す意義は何なのか? 単に偉そうに有り難そうに思わすだけなのか? パーリ語仏典を奉ずる上座部系の部派を小乗仏教と蔑むための大乗仏典への権威付けのためなのか? ヒンズー教との対抗、あるいは取り込みを目論むためなのか? 仏弟子が教祖であるお釈迦様の直説を貶めるような、そんな不遜なことを本当に行なえるのか? お釈迦様の直弟子達を馬鹿にするようなことを本気で考えたのか? 初期の般若経典『大般若経 魔事品』にはお釈迦様の直説を記したパーリ仏典に信徒達が回帰するのを「そうなったら悪魔の仕業だ」と危惧しています。事実、後世のことですが、三蔵法師玄奘がインドを訪れた頃には既に大乗仏教は衰えており、上座部系の部派に寄り添うように存在していたと、師の旅の記録「大唐西域記」は伝えています。東南アジアでも当初普及していた大乗仏教がパーリ仏典を奉じる上座部仏教に駆逐されてしまい、中国の影響が特に強かったベトナムだけが大乗仏教圏として残されるのみなのです。お釈迦様の仏教を小乗仏教と蔑み、小乗から大乗への流れを必然としてきた我が国仏教の立場からこの事実をどう考えればいいのでしょうか? 愚僧の脳味噌は混乱するばかりです。
もっとも大乗仏教、密教の歴史の中でも、サンスクリット経典はまず西域の諸言語に翻訳され、中国語に翻訳されました。インド仏教最後の密教もチベット語に翻訳されてその地に広まり、今も生きた宗教として息づいています。それぞれの民族が仏教を受容するときそれぞれの言語で仏教を理解しようとしていたことは明らかです。
我が国においても飛鳥・奈良時代以来エリート達は漢文を自在に読みこなしましたし、江戸時代になると町人や農民でも漢文を理解できた人は珍しくありませんでした。残念ながら空海さんなどの例外を除けばサンスクリット原典から仏教を理解しようとした人は少なく、強大な中国文化の影響によって変容した漢訳仏教ではありましたが、多くの人々が仏教を理解しようと努めていたことは確かです。また和讃や節談説教という形で大衆にも分かりやすく仏教が説かれ続けていました。
対して現代の日本仏教では、かつてお釈迦様がバラモンの行なう儀式を無益なものと批判した、そのバラモンと同じように世間の人々にとっては意味も分からない儀式を繰り返しているだけではないのか? 漢訳のお経を意味も分からず有り難く思えと強制しているかのように思えます。
もちろん現代では、サンスクリット原典からの日本語訳仏典も容易に読むことができます。多くの人がそれぞれの立場で仏典やそこに秘められた教義の解釈をして出版しています。しかしながら残念なことに、伝統的な宗派の仏教の僧侶がこれらを仏教の布教や、悩み苦しみ救いを求める人々の救済のために活用しようと実践しているとは思われません。
もちろん仏教を学んでいる拙僧は、我が国に伝統的な仏教のやり方を無意味だとは思っていません。大乗仏教の理想は現代でもその輝きを失ってはいません。むしろ心を病ませる社会においてますますその有効性を増しています。慰められている人々も大勢いるのです。しかし大乗仏教をよく知らない一般の人々からみれば、それは仏教の形骸化そのものと思われてもしようがないのではないのか?ということです。
これは鎌倉時代以来の祖師仏教の宗学に偏った仏弟子達のお釈迦様を蔑ろにした結果ではないのか? とにかく現代日本の仏教が人の心に巣くう闇に光明を照らし生きる力を生じさせるという、お釈迦様の教えを活かそうとしていないのではないか? 心の闇が産み出す残忍非道な犯罪のニュースに触れる度に思い出すこの疑問、愚僧の心にかかる一筋の雲が晴れることはありません。
無意味なことは考えても無駄じゃ!うじゃうじゃ考えずにただ一心に菩薩道を歩め!
と、叱られそう、そうその通りには違いないのですが、生来の潔くない性格は死ぬまで直りそうもありません。真摯に菩薩道を歩まれている多くの僧侶の方々には誠に申し訳ない限りではありますが、迷える愚かな不良仏弟子の戯言とお慈悲をもってお許しください。適切なアドバイスをいただければ幸いです。
南無仏 合掌九拝 観学院称徳