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月刊ラジオデイズ・バックナンバー

通巻第0号 2007年5月~世界同時、ラジオデイズ宣言
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd000.pdf

通巻第1号 2007年6月~小池昌代さ ん(詩人・作家)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd001.pdf

通巻第2号 2007年7月~内田 樹さん(思想家)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd002.pdf

通巻第3号 2007年8月~高橋源一郎さん(作家)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd003.pdf

通巻第4号 2007年9月~烏丸せつこさん(女優)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd004.pdf

通巻第5号 2007年10月~養老孟司さん(脳科学者)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd005.pdf

通巻第6号 2007年11月~清水哲男さん(詩人)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd006.pdf

通巻第7号 2007年12月~神田 茜さん(講談師)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd007.pdf

通巻第8号 2008年1月~関川夏央さん(作家)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd008.pdf

通巻第9号 2008年2月~大瀧詠一さん(ミュージシャン)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd009.pdf

通巻第10号 2008年3月~小沢昭 一さん(俳優)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd010.pdf

通巻第11号 2008年4月~岩見隆夫さん(政治評論家)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd011.pdf

通巻第12号 2008年5月~谷川俊太郎さん(詩人)
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通巻第13号 2008年6月~楠美津香さん(楠流家元・女優)
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通巻第14号 2008年7月~三遊亭白鳥さん(落語家)
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通巻第15号 2008年8月~瀧川鯉昇さん(落語家)
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通巻第16号 2008年9月~川上弘美さん(作家)
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通巻第17号 2008年10月~春風亭百栄さん(落語家)
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通巻第18号 2008年11月~三遊亭円丈さん(落語家)
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通巻第19号 2008年12月~小田嶋隆さん(コラムニスト)
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通巻第20号 2009年1月~石川セ リさん,鈴木茂さん,林立夫さん(ミュージシャン)
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通巻第21号 2009年2月~木村政雄さん(プロデューサー)
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通巻第22号 2009年3月~大貫妙子さん(ミュージシャン)
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通巻第23号 2009年4月~二宮清純さん(スポーツジャーナリスト)
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通巻第24号 2009年5月~加藤和彦さん(ミュージシャン)
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通巻第25号 2009年6月~湯浅誠さん(自立生活サポートセンターもやい事務局長)
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通巻第26号 2009年7月~小坂忠さん(シンガーソングライター)
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通巻第27号 2009年8月~鷲田清 一さん(哲学者・大阪大学総長)
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通巻第28号 2009年9月~カ ル メ ン ・ マ キさん(ミュージシャン)
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通巻第29号 2009年10月~ウ ェ イ ウ ェ イ ・ ウーさん(二胡・ヴァイオリン奏者)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd029.pdf

通巻第30号 2009年11月~福岡伸一さん(生物学者)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd030.pdf

通巻第31号 2009年12月~山上路夫さん(作詞家)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd031.pdf

通巻第32号 2010年1月~開高健さん(作家)
http://www.radiodays.jp/mrd/mrd032.pdf

通巻第33号 2010年2月~内田 樹さん(思想家)
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女流二つ目の修行日乗 2010年11月号(第41回)

師匠のその噺が大好きだ。
どうしても師匠に教わりたいと、入門当初から思っていた噺。
二ツ目に昇進して半年たった頃、師匠にその噺の稽古をつけて頂きたいと、伏してお願いした。
ところがだ。
「ダメだ。お前には教えない」。
途方に暮れた。何故駄目なんだ。

それから何ヶ月もたたないうちに、その噺を師匠に教わりに来た二ツ目が何人もいた。
全く違う一門の人達が、どんどん稽古をつけてもらっていく。
私も習いたい。
私は燕路の弟子なんだ。

もう一度お願いした。
やはり応えは同じ。

また日をあけてお願いした。
しばらく考えて師匠は言った。
「俺のあの噺をお前はもう何十回も聴いているだろ。自分で考えて作ってこい。そうしたら聴いてやるから。その代わり、俺がやるくすぐり(噺の中でウケる所)は一切省け。お前独自の噺にして作ってこい」。

それから何週間もその噺との格闘が始まった。
何十回と聴いてはいるが、だからといって一から十まで噺を再現できる訳がない。
それができるようなら、どんな噺を覚えるのにも苦労しないだろう。
ましてや大好きな噺のウケどころを全て省かなければいけないなんて。
師匠がそう命令する意味もわからないまま、私は死に物狂いで噺の言葉を紡いでいった。
「多分こんな感じで師匠はやっていたな」と記憶の中の師匠を呼び起こし、精一杯のくすぐりを考えた。

「自分で考えてみました」
「わかった。やってみろ」。
無我夢中で喋り始めたが、師匠の眉間にはむくむくと皺が。
喋り始めて十分もたたないうちに、続く台詞を遮って師匠は言った。
「そんなものは落語じゃない! ダメだ。考え直せ」。

またしばらく噺と向き合う日々。
噺家になって4年ちょっと。目をつむってトンネルを這うような感覚に初めて襲われた。
私独自のやり方ったって、どうすればいいのか見当もつかない。
それでもどうにかして噺をこしらえるしかなかった。

師匠にもう一度聴いてもらう。
稽古が始まって十分。「それじゃダメだ。今日はおしまい」と師匠。

またも噺を練り直す。
考えれば考えるほど、私の言葉は元々の師匠の噺の面白さからどんどん離れていくようだった。

三度目に聴いてもらっていた時だった。
「ダメだ」「なんだそれは」「やり直し」。
噺を次のシーンに進められない。
今日こそ師匠にこの噺をちょっとでも長く聴いてもらいたい。
そう思うほど、私は涙に声を詰まらせた。
稽古の最中だというのに。
溢れ出す涙に師匠は「今日は終わり」と席を立とうとした。

この時だった。私が初めて、師匠への口答えをしたのは。
「師匠がやっている通りにやりたいです! 師匠のやり方を教えて下さい!」
泣きわめいた。
師匠は少し驚いて、困ったように言った。
「俺のやる通りにやったって、俺にしかならない。自分にしかできないことを探せ」
「弟子が師匠に憧れてどうしていけないんですか!」
「俺と同じ噺家は二人いらないんだ。お前が俺のようになっても仕方ない。寄席のお客は厳しいんだ。人と同じことしかできなければ飢え死にするんだぞ。小三治を見てみろ。○○師匠を見てみろ。○○兄貴を見てみろ。ああやってどの噺も自分色に染めて、自分にしか出来ない噺にこしらえてやっている。そうでなきゃ寄席では生き残れない。お前は俺を目指すんではなく、お前独自の世界を作り出せ」
「それでも師匠のやるようにやりたいです」
「それでも自分で作れなきゃ、駄目なんだ」。

鬼の形相でダメだダメだと突っぱねていた師匠が、次の稽古から少し変わっていた。
情にほだされたがごとく、少し優しくなって。
「お前はそこをこうやりたいのかも知れないが、それじゃあ落語らしくない。こうやってみろ」
私の作ったシーンを細かく直してくれた。
「その後こう言ったら、もう少し面白くなるんじゃねえか」
お客さんが笑うような台詞も導き出してくれた。

この噺の稽古が始まって5ヶ月たった頃、ようやくお客さんの前でやっていいという許可をもらえた。
他の人がやらないシーンとくすぐりがいくつも入ったその噺は、私の大切な大切な財産。
いつ何時掘り起こしても、自分の体から出た台詞は一番喋りやすく忘れにくく、やっていてとても楽しい。
涙をたくさん流して学び覚えたことは、私の宝物だ。

この連載が終わることになったらしい。
私にはまだまだ書きたいことが山ほどある。
入門初日の師匠の言葉。
私の芸名がつくまでのこと。
おかみさんとの交換ノート。
初高座の日。
寄席で大きくしくじった日の師匠の言葉。
二つ目に昇進したその日。
師匠から初めて御礼を言われた時。
おかみさんとお酒を呑んだあの日。
最近の師弟での会話。

エピソードは数限りない。
今までも、これからも、私はこうしたエピソードを大事にして生きていく。
そこから学んだことが私の命。それが私の落語を作っていくのだ。

編集部の皆さん今までありがとうございました。
楽しみにして下さっていた読者の皆さん、ありがとうございました。
これからは私の高座を、連載の続きと思って聴いて頂けますように。
私の修行日常は全て高座に結びついていくのでしょうから。

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明烏い話 2010年11月号(第44回) 本田久作

 この連載もこれで最後らしいので、折角だから分からない人にはまるで分からない話を書いてみる。

(1)
 孔門十哲の中の筆頭は顔回、というのが一応論語読みの常識なのだが、本場の中国人はともあれ、少なくとも日本人にはこの常識が腑に落ちない。
顔回のどこが偉大なのかうまく理解できないのだ。
その反対におそらく日本人の論語読みの大半は子路が好きである。
孔子の教えからすれば子路は欠点もあった人だったが、得も言えぬ愛敬があって好感が持てる。「漢」と呼ぶにふさわしい男である。
どうやら日本人はこういうタイプの男に弱いらしい。
だからこそ中島敦も孔子の弟子を小説にした時、顔回ではなく子路を主人公にした『弟子』を書いたのだろう。

 日本人のこういう好みは孔門だけに限らない。
蕉門にもやはり十哲がいて、皆優れた俳人揃いだが、「俳句の技量は問わない、芭蕉の弟子の中で一番好きなのは誰だ?」と聞かれたら、たいていの人は其角の名をあげるのではないだろうか。

 もう少し俗な例だと、清水の次郎長一家がある。
次郎長には二十八人衆と呼ばれた選りすぐりの子分がいたが、この中で「兄弟の貫禄は問わない、一番好きなのは誰だ?」とやはりたずねたら、これは誰に聞いても森の石松と即答するはずだ。

 其角も石松も子路タイプの人間である。
 では、桂米朝一門で子路は誰かと言えば、これはもう間違いなくざこばだ。
そしてざこばが子路だとした時、顔回は誰かと言えばこれは間違いなくどころか、絶対に枝雀以外にあり得ない。
 と、ここまで考えた時に、「なるほど、顔回はそれほど偉い人だったのか」と私はようやく腑に落ちた。

(2)
 私は大阪府豊中市に生まれ育った。
地元の中学校に通い出したのが今から三十八年前のことである。
中学校は小学校よりも学区が広いので、行動範囲や交友関係も広がる。
小学生の時はほとんど行くことのなかった隣町まで足を伸ばすようになり、私はそこでそれまで知らなかった人たちの存在を知った。それが「ゲ」である。
今は何と呼んでいるのか私は知らないのだが、当時は知恵おくれと呼んでいた人たちのことだ。

 そういう人は私の家の近所にもいくらでもいたし、年格好が近ければ一緒に遊んでもいたから、それだけなら珍しくも何ともない。
ただ、隣町のそういう人たちは特別な呼称がついていて、私たちより少し年長の男の子であればアニゲ、女の子ならアネゲ、私たちから見ておじさんならオジゲ、おばさんならオバゲと呼ばれていた。
ここで命名のルールをいちいち説明しなくてもいいだろう。
そういう人がお婆さんならババゲとでも呼ばれていたわけだ。

 問題はなぜ「ゲ」なのか、ということだ。
一年後に理由がわかった。そういう人たちの親玉とも呼ぶべき強烈な男がいて、そいつの頭には毛がない、つまりハゲなのである。
そこで、子供たちはそのハゲを筆頭として、それ以下の人たちに「ゲ」の称号を与えていたのだ。

 ゲの親玉であるハゲは一日中奇声をあげながら町を歩き回る。せわしなく右を向いたり左を向いたりしながら、一人で泣いたり笑ったり怒ったりする。
時々「セーネンガッピ!」と叫ぶらしい。

 私は結局ゲの親玉の奇行を見ることは出来なかったのだが、その正体は半年も経たない内に知った。
枝雀が歩きながら稽古をしていたのである。

(3)
 円朝は無舌の悟りを開いたそうだが、これは嘘だろう。
嘘と言って悪ければ、円朝ぐらいの人であればそういうことを言わねばならなかった時代だった、と言い直してもいい。
そもそも少しでも頭の働く人ならば、喋らない噺家は存在として矛盾しているということぐらい分かるはずだ。
こんな簡単なことが分からないのはゲの人たちぐらいだろう。
 
枝雀は分からなかったのではなく、分かろうとして、分かろうとして、分かろうとした挙句に、どうにかすればそれが出来るのではないかと考えた。
だが、繰り返すが喋らない噺家は存在し得ないのである。
存在し得ないものに枝雀はなろうとした。
だから枝雀は死んだのだ。

(4)
 四十年近く落語を聞いてきて一番よかったのは、枝雀に間に合ったことだ。

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味な脇役・話芸のきまり文句 2010年11月号(第41回) お題「目」

 「義眼」(「いれめ」と読むこともある)という落語の冒頭に、

目は人間の眼(まなこ)

というフレーズが引用されるときがある。これは、「目はその人の人格をもっともよく表すところである」という意味で、ちょっと聞くと、「犬が西向きゃ尾は東」や「雨の降る日は天気が悪い」のような、当たり前のことをわざわざ言ってみせて笑いを取る文句と似ているようだが、れっきとした諺だ。

 では、どんな目が「美男・美女の目」か?
これは男女で違う。

女の目には鈴を張れ、男の目には糸を張れ

などといって、女は丸くぱっちりとした目が、男はきりっと細くまっすぐな目が良い、という意味。
たとえば、美少女であった八百屋お七の目が「鈴を張ったような黒目勝ち」(落語「八百屋お七」)だという。
 「目」がからむ慣用句のたぐいはおびただしい数になるが、話芸に出る利発な子供の形容で出るのが、

目から鼻に抜ける

で、講談ならたとえば「野狐三次」の三次や「太閤記」の藤吉郎の少年時代を描くときに用いられる。落語では「妾馬」に出てくる、玉の輿に乗る長屋の娘・おつるさんを、「目から鼻へ抜けるような利巧者」と家主が言う。

 よく注意していないと見逃してしまうが、講談「清水次郎長」で、都鳥吉兵衛(次郎長の子分・森の石松を殺した下手人)が、次郎長に会って、石松殺害の件につき嘘をつくのだが、次郎長はそれを鵜呑みにしない。吉兵衛は後でその慧眼を恐れて、

イヤ、どうも何だな、横に切れた野郎だな

と言う。
「横に切れた」は「横に目が切れた」で、物事を見極める力がある、識別力がある、の意だろう。
「目」が隠れていることもあるのだ。

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女流二つ目の修行日乗 2010年10月号(第40回)

神様もむごいことをなさる。
古今亭志ん五師匠が亡くなった。
お慕い申し上げていた方だった。

私は辛い経験を忘れるのが苦手だ。
落語に人生をかけているその私の高座について、傷付くようなことを言われたその台詞、その人の顔、その時の悲しい気持ち。なかなか忘れられない。
いつまでも生傷として傷みうずく。
前座時代に師匠の家でしくじった苦い過去は、時がたつごとに笑って話せる思い出となっていく。
でも私の高座について、私を含め女の噺家について、語られた屈辱的な言葉の数々は、いつまでも生々しく記憶される。

同様に、その傷付いた私の心に、慰めとなる言葉をかけて下さった方の顔も台詞も、その表情も、決して忘れない。
その方には生涯感謝し、恩義を感じて生きていく。
その方に何かあれば、飛んで行き、お力になれることは何でもしたいと思う。たとえ遠い存在の方でも、その方の幸せをいつでも願っている。
その後者に当たるのが、古今亭志ん五師匠だった。

あれは昨年の11月のある日。
池袋演芸場は二ツ目勉強会に出た。
二ツ目勉強会は理事の師匠方が客席で二ツ目の噺を聴き、反省会で一人一人を品評して下さる。

ある理事の師匠が、初めて私の高座を聴いて、反省会でこう話された。
「別に女の噺家を否定する訳じゃないんですがね。男の噺家なら先輩として『この噺はこうした方がいいよ』って言えるけど、こみちは女だからなぁ。女の噺家へのアドバイスは、私には出来ないなぁ」。

噺家は誰一人として、自分と自分の師匠の力だけで生きた人はいない。
沢山の先輩方に噺を稽古して頂きアドバイスを頂いて生きている。
先人から教えて頂いたことの数々を自らの力にする。先輩方は懐に飛び込んできた後輩に、喜んで芸の秘訣を伝えていく。
それがこの世界の素晴らしいところだと思っている。
でも前述の師匠は、男の噺家には力を貸すが、女の噺家には力を貸さない、そう言い切った。
これが落語界の現実。
私も腹をくくってはいるが、万座の前であからさまに語られた冷たく突き放す台詞に、私は冷静を装い頭を下げるのが精一杯だった。
場は重い空気に包まれた。

そこへ、口火を切ったのが志ん五師匠だった。
「私はね、こみちが二ツ目になった時からずっと、二ツ目勉強会でこみちの高座を見てるけどね、この人はいつも頑張っていますよ。今日もいつも通り、こみちの高座は悪くなかったと私は思いましたよ。落語は男のものだけど、いつか女のこみちが男の役の台詞を違和感なく喋るってことが、売りになるかも知れないじゃない。難しくても可能性がない訳じゃない。今のこみちのキャリアで今日の出来は、悪くないと思いますよ。」

私の人生に希望を持たせて下さる温かいお言葉だった。
最前の言葉にひどく傷ついた私を、大きく勇気づけて下さった志ん五師匠。
以来、あの日の志ん五師匠のお言葉を折に触れ思い出し、高座で苦戦した日、落ち込んだ日も自らを奮起してきた。
あの時のお言葉が、どれだけ励みになったかわからない。

落語を愛するが故に、女の噺家に厳しいことをおっしゃる方はよくいる。
私たちは日々落語と格闘しながら、私たちにかけられたそういう言葉とも向き合っている。
志ん五師匠は、全く違う一門の、私のような名もない二ツ目に、そうした言葉に立ち向かう勇気を与えて下さった。
この感謝の気持ち、頂いたお言葉、あの時の志ん五師匠の温かな表情。
決して忘れない。
いつまでも私の力として噺家の道を突き進んでいく。

古今亭志ん五師匠。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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こみち柳亭

柳亭こみち komichi

●柳亭こみち(りゅうてい・こみち) 社会人生活を経て、平成15年柳亭燕路に入門。18年11月二ツ目昇進。元気一杯、ハキハキとテンポのよい高座で女流のフィールドを次々開拓する新進気鋭の若手。趣味は長唄、ギターにウクレレ。特技は日本舞踊、吾妻流名取(吾妻春美)。落語協会野球部・チームR所属。 ※毎月第4金曜日更新

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